映画「ヒトラーVS.ピカソ 奪われた名画のゆくえ」公式サイト » ART EXHIBITIONS

GREAT GERMAN ART EXHIBITIONS

1937年7月18日〜10月31日
ドイツ芸術の家(現・芸術の家)ドイツ・ミュンヘン

 ヒトラー自らが企画し、1937年から44年まで毎年開催されたナチスのお墨付き展覧会で、ヒトラーとゲーリングが占領国の美術遺産を巡って競い合うことになる古典美術への執着の始まりになったといわれる。

 36年11月に作品公募が発表され、翌年1月にヒトラーのお気に入りの画家で、帝国造形芸術院総裁のアドルフ・ツィーグラ−がトップの審査委員会が設立された。しかし、ヒトラーやゲーリングら一言居士の意向と美術専門家で構成された審査委員会の意見が一致せず、審査は難航。最終的にヒトラーが直接選考した約900点の絵画と彫刻がゆったりとした空間に展示された。

「大ドイツ芸術展」で好まれたテーマは農村の生活や田舎の風景、そして家族と母性だった。写実的でわかりやすい古風な作風が好まれ、農村の風景画と4割で、次に裸体画を含む人物画が多いのが特徴。男性像は贅肉がなく筋骨隆々の理想的な肉体が賞賛され、女性の裸婦像は母親を刺激し、「健康で美しくい金髪の子供たちをたくさん産んで総統に捧げよ」のメッセージが込められていた。

DEGENERATE ART EXHIBITIONS

1937年7月19日〜11月30日
考古学研究所

 ナチスがドイツ国内の公立美術館とユダヤ人収集家の自宅や画廊から没収した16000点の中から、ナチスによって広められた美の概念にそぐわないと見なされた650点が「退廃芸術」の烙印を押され、さらし者として公開された。

展示室はピカソ、ゴッホ、シャガール、カンディンスキー、クレーなどの絵画が、配置も水平も無視したカオス状態に。作品の脇には「働くドイツ民衆の税金から支払われた」と書かれた赤紙が貼られ、壁には「無能なペテン師」「第一次大戦の英雄に対する侮辱」「文学的用途や商業的用途に悪用されるデカダンス」といった批評が踊っていた。

 選考基準は曖昧で、準備期間が3週間しかなかったために、開催後にミスが判明した。同時期に開催された「大ドイツ芸術展」で展示されたボクサーのシュメリング像と「退廃美術展」に出された「三和音」と「真鍮の首」が同じ作者のルドルフ・ベリングだったのだ。急遽、「三和音」と「真鍮の首」は会場から撤去された。

 動員数は4か月で200万人を記録。あまりの人気に1941年までドイツ13都市を巡回するほどだった。